思いのままにペンでスラスラ

自分の好きなものについて好き勝手に書いたりレビューしたりします。

『沼』という表現についての話



 

今回はオタク的話題じゃないとみせかけて最終的にそういう話になる、僕が好き勝手に書き殴った話だよ!


何の話かというと、タイトル通り"沼"という表現についてです。


なんでこんな話をするかというと、Twitter
「自分の好きなものに対して"沼"やその他ネガティブな表現を使っているのを見ると、本当に好きなのかとさえ思う」
という発言を見て、「確かに」と思うとともに、自分もそういう迂闊(?)な表現をしてないかと不安になったので、折角だから少し掘り下げてみようと思いました。


当たり前だけどこれは僕個人の考えですし、この考えが全てだなんてもちろん思ってませんので、こう考えてる人もいるよ程度で捉えてくださいね。

 

沼とはなんなのか


そもそも、ここでいう"沼"というワードがインターネットスラングとしてどういう意味合いを持っているかです。


二次創作などで見かける「沼」ってどういう意味ですか? - Yahoo!知恵袋



今回の話で扱うのは「抜け出せないほどにはまってしまうジャンル」の意味です。



他のスラング含め、沼にはネガティブな印象がどうしてもつきまとっています。
池と比べると、透明度が低い(≒汚れている)場合に用いられることが多いことが原因でしょうかね。

沼 - Wikipedia



そんな沼という言葉がどんなジャンルに使われているか、Twitter検索でザックリ拾ってみました。検索結果から拾ってるだけだからここに書いたものに対して僕の偏見は入ってないからな!*1(具体的な作品名にかかる沼は除外してます)

・ドール沼
・ソシャゲ沼
・課金沼
音ゲー
・アニメ沼
・アイドル沼
・カメラ沼
・自転車沼


……だいたい何にでもくっつく便利ワードかよ。
ちなみに僕のTwilogで検索かけたら「津田沼*2」ばっかり出てきました。ビバ千葉県民。

 

沼の持つ意味(内的要素)


さて、沼という意味を掘り下げます。なぜ沼という表現がネガティブに捉えられるかを考えます。


そもそも好きな作品・ジャンルにハマるということは、
『その作品・ジャンル世界を自分のいる場所、好きな場所として自らの意思でその状態になっている』であるはずで、それに対して沼は、
『ハマってしまったら抜け出せない存在であり、その位置にいることも沈められた結果で自らの意思ではない』というニュアンスが隠れているように感じます。


結果として、沼という表現を見て「自分から好きになっておいてその言い草はどうなん?」と考える人が出てくるのかなと。


結局はその作品・ジャンルを好きになった自分を肯定し切れず、どこかに言い訳を残したいときに使ってしまっている気がします。


というのが沼という表現が出てくる内的要素なのかなと。

 


自己肯定感とか、そういう自己啓発じゃないですが、確かに自分の好きなものを大手を振って「好き」と言うのって割と勇気のいる行為だと思います。

でもそこの扉を開いてこそ、なんじゃないですかね。


僕がはてなアカウントを取得した理由の9割がスター付けたいことで、はてブロ作った理由の10割が自分の好きなものを好きだと自由に言うためでして、僕がどれだけその作品を愛してるかは今更言わなくても今までの記事で伝わってれば良いなあと思います。


閑話休題

内的要素について考えましたが続いて外的要素も考えます。



外的要素としての沼


他者から見て"沼"と捉えられるものはどういうものかを考えます。

ここまでの流れでわかると思いますが、僕は沼という表現をあまり好意的に思っていない側です。

けど、そんな僕も「ソシャゲ沼」「課金沼」という表現に関しては別にアリだなと思ってしまいます。某ソシャゲに600日以上連続ログインしてそれなりの額つっこんでる上で、です。
あと、「音ゲー沼」も、ほんのちょっとだけわかる気がします。こちらも10年以上愛好している上でね。


なんでこう思ったかという部分から、自分の中で沼を定義付けした結果、
『一般的感覚から見て度を超えたハマり方をしている状態』が沼である、って感じになりました。
我ながらすごくザックリしています。

しかもこの「一般的感覚」が厄介で、何を「一般的」にするかで結果が大きく変わるんですよ。

 


例を出します。

「アニメ沼」というものを考えたときに、どこからが沼なのでしょうか。
アニメを見ない人からしてみれば、毎週楽しみにしているアニメが1つでもある人は皆オタクでアニメ沼の住人かもしれません。
けど、アニメをある程度見ている人をこの場合の「一般」に当てはめたら*3、もっと多くの作品数を見ている、だとか毎クール何作品かBDを買っている、とかまで至ってようやく沼かもしれません。

「(特定の作品)沼」にしたって、
・その作品が好きになった時点で沼
・大好きなキャラクターがいたら沼
・各話の脚本と作画監督まで把握し始めたら沼
・各話の原画マンの名前も知らないのに沼とかwww

と、人によって捉え方は色々あるかなと。

 


先に挙げた「ソシャゲ沼」や「音ゲー沼」に関しては、より明確な指標として「課金額」や「費やした時間」という数字で表せるものがあるから、僕としても何となくの納得ができてるのかもしれません。(この場合の"沼"という表現はハマっているという意味よりも、とにかく金銭的に沈んでいくという意味合いが強い気がするからそもそも違う気もしてきた)


ソーシャルゲームの方は置いといても、音ゲー沼は先の「アニメ沼」的な要素もあると思います。

ここがさっき「ほんのちょっとだけわかる」と書いた理由になる部分で、
まず、音ゲーをやらない人の「一般的感覚」からしてみたら、"100円で約10分間音の出る貯金箱*4"にお金をじゃぶじゃぶ入れる行為は中々に不思議に見えるかもしれません。これが外的要素としての沼。


そして、音ゲーガチ勢によくある行動としての「曲埋め」や「譜面埋め」、更に行けば「フルコン埋め」や「譜面研究」に至り、この辺りの行為は内的要素としての沼に当たりそうです。



で、このうちの外的要素としての沼は確かに認める面もあるのかなと。
ただ、内的要素としての沼の例として挙げた行為って、その人が音ゲーを「楽しむため」にやり始めたはずなんですよね。

自分の好きなことをやっているわけだから、そこに"沼"という表現を使ってしまうのは、音ゲーを始めた頃の自分の気持ちを忘れてしまったせいなのかな、とか。


以上から、音ゲーに関しては沼という表現が全面的に肯定はできないけど、「ほんのちょっとだけわかる」気がするんです。


具体例が長くなった。
けど、他の「(任意の)沼」についても、「一般的感覚」による外的要素なんて、何を「一般的」にとるかで結果が大きく変わることはわかると思う。わかって。


まとめ

 

これだけ書いた上で、結局のところ"沼"という表現は、全ての人に共通する明確な定義、認識はなく、フワフワした言葉として用いられているのでしょう。


ただ、言葉というのは生き物であり、そして漠然としたものでもそこに共通した言葉を与えられることで自由に動き出します。*5



そして、広がった言葉は明確な意味もないまま、(意味について)無自覚な話者ー便利だと感じた表現に甘える人間ーによって更に広げられていきます。

その際に、「この場面でこの表現か?」と思う人が出てくるわけです。


別に僕は他人の表現を縛る気はないですが、その言葉を受け取った人がどういう印象を受けるのかということは、誰もが発信者になるインターネット世代としては意識しないといけないし、無自覚な言葉をあまり使うもんじゃない、という優等生なシメをしておきます。


終わりに

 

自分の発言には責任を持つので批判や反応をするなとはもちろん言いませんが、あくまでこの内容は「僕が思ったこと」だからね!繰り返しになるけどこれが全てとは思ってないよ!


だから、「ここの表現は公平性に欠けるからこういう視点も入れるか削れやクソ!」とか「ここの話の繋がりわからんぞボケ!」とか、そういうのは直接(優しい口調で)言ってきてもらって構わないんだけど、各個人の感想とか反論とかまで僕に直接リプライとかしなくていいです。


反応気にするマンなのでURLつぶやいたりしてから何かコメント付けたりしてるのは割と見て参考にしているので、僕と同じように空に向かって発言する感じでやってくれたらなと。


他の人の考えを聞くのも好きだけど、どうせ考えを発表するなら僕個人へでなく、ぜひ全体に向けてください。



以上、何を書いても長くなる、まとめ能力ないマンでした。

 

 

(一応の追記)

結局自分が何を言いたいのかをシンプルかつ乱暴にまとめると、「ポジティブワードとネガティブワードの区別をつけて、自分の好きなものくらいポジティブワードで紹介できるようになれ」ってことだなと。

 

僕がこんなにもポジティブワードヤクザになったのは、おそらく中学時代の恩師が「○○しちゃいけない」系の後ろ向きな目標・標語を真っ向から否定するタイプだっていうのと、前職時代に僕が好きだったプレゼン手法だったってことが要因だと思います。

 

 

*1:こういう話題では予防線をガンガン張っていくからな!

*2:地名であり、津田さんの沼という意味ではない

*3:強引かもしれないけどオタク界隈としての「一般」

*4:取り出せない

*5:最近だと「バブみ」が言葉付けにより概念が広がった例かなと。もう少し遡ると「ツンデレ」という考えても言葉によって(原義が曲げられながらも)広がった例かもしれない